「わかる」ということと「リアル」について/大覚アキラ
わかったつもり、というものほどあやふやなものはないと思う。
そして、わかったつもりで何かを語ることほど、無様で格好悪いものはない。
そもそも、わかったと思っている主体である『私』自身は一体何者なのか。
それ自体がわからないじゃないか。
何者かわからない『私』が、何かをわかったつもりになる、
こんなよくわからないことが成立すること自体よくわからない。
わかっている、と『私』が思っていることのほとんど(あるいは全て)は、
誰かが「それは○○である」と言っていることであり、
その誰かでさえ、わかったつもりで言っているだけのことかもしれない。
誰かがわかったつもりで言ったことを、
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