散り際に雨/小太郎
でに感じた一つの感情も失わないで
全ての感情と記憶を保ったまま
他人に否定されても
相手はもうおじさんやおばさん
おじさんやおばさんは僕たちと同じ時代を過ごしたというけれど
同じ時代を過ごしたから
他人のことが分かるとは限らない
「そういうものだよね」 という言葉を発する人間は
何を勘違いして暮らしてきたのだろう
年を重ねた人達は 経験の数だけ
他人の気持ちを理解できるように 本当になっている?
それとも経験による成長と
他人を理解しようとする心は
飽和する?
いつかどこかで
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