彼の場合/んなこたーない
に薄暗い不幸を思わずにはいられなかった。
彼が頭の中で「ハムレット」の筋を追っていると、ドアが開きそのままシェイクスピアは降りていった。
十四階であった。
「I keep singing them sad sad songs――」
その曲は彼がオーティス・レディングで一番好きな曲であった。
「――Sad songs is all I know」
マイクの向こう側では十八歳の彼が額に汗を浮かべ歌っているに違いなかった。
スピーカーのこちら側でその歌声を聞きながら、
それが数年前の自分であるとは彼にはとても信じられなかった。
彼は自分がついにSad songsを知りえなかったという事実に、悲しくも思い至らないわけにはいかなかった。
それでもなお十八歳の彼は歌いつづけた。
「All my life I've been singing these sad songs Trying to get my message to you」
が、そのときすでに聞いているものは一人もなかった。
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