彼の場合/んなこたーない
彼はそこにひとりでいた。しかしそこにいたのは彼ひとりではなかった。
その屋上プールではたくさんの人間が半裸のまま死んだ魚のように浮かんでいた。
それは誰かが水中に劇薬の類を流しこんだからに違いなかった。
彼の妻も子供もだらしなく死んでいた。彼の目はそれを確かめずにはいられなかった。
なぜ彼だけこうして生き残っているのか、それは彼自身にも判らなかった。
呆然とその場を眺めていると夏の強い照り返しに思わず目がくらんだ。
彼が目を閉じると、そこにはもはや誰もいなかった。
女は小走りに近づいてきた。
「大丈夫ですか――、血が出ているじゃないですか」
彼はなんとも答えずそこに直立したま
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